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【短編(3)】人生はゲーム

 

 「水前寺清子の三歩進んで二歩下がるってやつ、それが俺の人生だよなあ。」男は不意に思った。

 正面に立つディーラーを睨むその目つきはひどく焦点がずれている。本人は力を込めて凝視しているつもりのようだが、どう見ても明らかに生気が足りず、傍目にはこの男が強い人間なのか弱い人間なのか判断がつかない。テーブルを握りしめる両の手はよく見ると小刻みに震えており、かき乱した髪の毛は入道雲のように逆立っている。爪先で地面を蹴り続ける音は辺りに鈍く響いており、その異様さにこの男が正常な精神状態にないことは明らかだった。

 男は今、人生で何度目かの大きな大きな賭けに出ていた。このブラック・ジャックやカジノの世界では「オールイン」と呼ばれる、保有コインの全賭けである。高い計算力と戦術眼を活かして今日の前半から着実にリードを重ねてきた男は、13番目のゲームが始まる直前、何かに導かれるように手元のコインをすべて台の上に移動させた。金額にして2千万、いや3千万を超えるかもしれない。 

 男は自分でも何をしているのかわからなかった。そもそもなぜ今日カジノに来たのかも。金に困っているとはいえブラックジャックなんてネットゲームでしかやったことはない。カジノはもちろんギャンブル自体が人生で初めてなのだ。本物のディーラーを目の前に自分がギャンブルをするなんて、元来気の弱い彼には想像だにできないことだった。朝起きて気がついたらカジノの派手な看板の下に立っていた。男にとってそれが全てであった。無責任だと言われようと、そう説明するしか他にないのである。
 ただ普段ネットでやり込んでいるだけあって、これまでの戦略は全く間違っていないどころか信じられないくらいに的中していた。ローリスクの掛金でディーラーを油断させてバーストを重ねさせることで、着実に手元のコインを増やしていく。これをこれからもしぶとく続けていれば間違いはなかったはずだ。もう十数ゲームほど続ければ借金も半分くらいは返すことができるかもしれない。なのにどうしてか。目の前に積まれたコインの山を目にしたディーラーは極力バーストを避けてステイに徹し、プレイヤー達のバーストを待つだろう。そうすると男の数千万は海の藻屑と消えてしまう。もうさすがにこの借金は返せないはずだ。それこそ文字通り首をくくるしか方法がなくなる。あまりに順調な勝ち戦についに冷静な判断力を失ってしまったか、傍目からはそのようにも見えた。男は自分の大胆な行動に自分でも戸惑っていた。なぜこんなことをしたのかと。しかし彼の脳裏には同時に直感とも取れない妙な確信も微かながら芽生えていたのである。

 男にはこれまでの人生でも何度かそういった不思議なことがあった。大卒後、上場企業のビジネスマンとして順調にキャリアを重ね、社内恋愛した女性と結婚して幸せな家庭を築いていた男は、10年前に突如として脱サラして個人経営のデザイナーに転職した。愛妻に相談もせず退職を強行した彼はその後当然のことながら離婚の憂き目に遭う。大きな空き家のローンと養育費の支払いに負われる生活は預金残高をみるみる溶かし、その生活は荒れた。せっかくのデザイナーとしての仕事がおざなりになった男は、なぜ自分がそのような道を選んだかわからず苦悩し、暇を見つけては街を徘徊して現実逃避をした。

 ある日、いつもの徘徊コースから離れて不意に導かれるように西へ西へと脚を向けた彼は、1時間ほど歩を進めたところで草むらに茶色い小さな影を見つけた。ツチノコの子供だった。その日から男は街のちょっとした有名人となった。市長から賞状と1000万円の小包を受け取る姿が全国のテレビに映し出されたのは記憶に新しい。

 1000万円を元手に自宅を改装した彼は、心機一転デザインの仕事に精を出すべく睡眠時間を削って一心不乱に紙に筆を入れた。来る日も来る日も描き続けた男は、ある日急に思い出したように煙草のケースを取り出し火をつけた。ビジネスマンを辞めて以来一切手を付けていなかったものだ。火を燻らしながらしばらく仕事を続けたのち、鳴り響くサイレン音にパッと目を覚ました時、焼け焦げた匂いと周囲になにもないその視界で男は全てを悟った。その後の始末も男を苦しめた。火災保険に加入していた彼は、その怪しい保険会社名が日本の法人登録名簿に記載されていないことを知り、愕然としたのであった。男にはおよそ4千万円を数える多額の借金と借金取りに怯える生活だけが残った。

 男の人生は行ったり来たり、まさに人生そのものがゲームのようだ。塞翁が馬と言えば聞こえは良いが、自分の突飛な行動がこれ以上ない幸せやとてつもない不幸を呼んでいることは事実である。しかし、自分でもなぜそのようなアクションを起こしたのか説明ができないのだ。神様のいたずらか、ただの医学的に珍しい精神疾患か。男はこのコントロールできない自らの宿命に、時には悩まされ時には励まされながら生きてきた。

 男の突然の行動に、他のプレイヤーだけでなく当のディーラーもさすがに少なからず衝撃を覚えたようだ。サングラス越しの目は赤く充血し、顔色も少し青白くなっているように見える。しかしそこはプロ、いつもと変わらぬ手つきでトランプカードを繰り、これまでと変わらず見事な手つきでプレイヤー達の前に配り終えた。さあ、一生を賭けた勝負だ。

 男のカードはまず「Q」「6」。ディーラーの手元には「5」。男のポイントはこの時点で「16」、ディーラーは「5」。定石ではプレイヤーは絶対に「ステイ」だ。ディーラーはハード17で強制的にステイとなるため、プレイヤーである男がこの時点でステイすればディーラーは確実に「ヒット」して17ポイント以上を狙ってくる。その分ディーラーは22ポイントを超える「バースト」を起こす可能性も高いため、プレイヤーはこの場合9割9分ステイする。そうしないプレイヤーは見たことがないし、実際今日男はそうやって前半のゲームで勝ちを積み上げてきたのだ。むしろヒットする場合、13種類のカードのうち「6」以上の数字をひいてしまうとその場で男がバーストを起こしてしまい、その時点でこのゲームと人生の敗北が決定してしまう。ヒットは絶対にあり得ない、ヒットは。

 しかし、男の震える指はテーブルをトントンと叩いた。ヒットだ。テーブル全体に衝撃が走る。

 もはや動揺を隠せないディーラーの手が、恐る恐るもう一枚のカードを男の前に差し出す。「1」~「5」ならおそらく男の勝ち、「6」~「K」ならば・・・・・・。

 

 裏返されたカードには「5」の文字が。既に手元にあった16ポイントと合わせて21ポイント。ブラック・ジャック。男はテーブルに印字された「3to2」という文字をその目で慎重になぞり、こぶしを握り締め、そして大きな雄たけびを上げた。




 

 借金完済で大喜びした少年は、意気揚々とルーレットを回し、男が刺さっている車の駒をさらに3コマ進めた。卓を囲む他の3人の少年も固唾をのんで見守る。「寝タバコで家が全焼・・・4000万円払う」「カジノでオールイン!5000万円ゲット」の次は・・・
 「庭を掘ったら石油が!夢の1億円獲得!」

 コマを動かした少年は派手にガッツポーズし、他の3人は悔しそうに唇を噛んだ。

 やっぱり人生ゲームは面白い。