【国内旅行記(1)】伏見(京都)
京都は伏見に行って参りました。
・東福寺
・伏見城跡
・寺田屋
伏見と言えばやはり伏見稲荷大社ですよね。
嵯峨野の松尾大社と並び、渡来系氏族秦氏の氏神として知らぬ人はいません。
秦氏と言えば、海外から渡ってきた技術集団で、
古代ユダヤにルーツがあると言われることもあります。
神使である狐や千本鳥居が特に有名ですが、
いずれも日本らしくないというか、どこか遠い遠い国を思わせる
不思議な空気が漂っているように感じました。
雀のシーズンは冬なので今回は食べられませんでしたが、
稲荷寿司と鶉は食べてきました。
鶉は頭からボリボリと丸ごと頂くので歯ごたえ抜群。
店員さんによると、雀については猟師が年々減ってきていて
日本でも片手の指に収まるくらいしかおらず、今後の収穫が心配だそうです。
伏見は巨椋池や宇治川に接する港町、宿場町としても知られています。
大阪・京都・近江を繋ぐ街道・水運の拠点として、
安土桃山時代にはその名前の由来となった伏見(桃山)城が
あの羽柴秀吉によって築かれ、日本を代表する政治都市になりました。
伏見城は江戸時代以降何度も取り壊しの憂き目に遭い、
現在残っているこの天守閣跡は
昭和の御代に遊園地を作る折、模造天守として再現されたもののようです。
残念ながら秀吉が天下に号令したかつての桃山城の趣は残っていませんが、
爽やかな山風を感じながら目を瞑ると当時の賑わいが蘇ってくるように感じます。
あまり知られてはいませんが、この伏見桃山地区には
8世紀後半にあの平安京への遷都を誘致したのは、
何を隠そう当時山背国(京都)を拠点としていた秦氏です。
そもそも秦氏の協力なしには遷都という大事業は成らなかったのでしょう。
この伏見に御陵を構えさせたのではないかと推察できます。
宿場町伏見の町並みや船着場として栄えた宇治川派流は、
今も文化資産として当時の風景が残されており、
歴史ファンとしては嬉しい限りです。
中でもあの寺田屋は今も旅館としての経営を続けており、
宿泊客がない日は記念館として有料で公開されています。
そして坂本龍馬が幕府見廻組に襲われた事件の舞台となりました。
寺田屋騒動で薩摩藩士有馬新七が「おいごと刺せ」と叫んだ壁や、
坂本龍馬が襲われた部屋、事件の日に妻おりょうが入浴していた風呂、
その他柱の刀傷や弾痕が生々しく残されています。
宇治川派流にかかる京橋には、鳥羽・伏見の戦いの激戦地を示す石碑がありました。
街道であるがゆえに激戦にも巻き込まれ、住民にはさぞ苦労があったことでしょう。
伏見は京都と大阪を繋ぐ水運・陸路の重要な中継地であり、
渡来系の大豪族秦氏の信仰の拠点でもありました。
みなさんも伏見を訪れた際には、当時の面影を感じに
これらの史跡まで足を運んでみてはいかがでしょうか。