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【短編(4)】伝説のアスリート

 

 あの部屋はいつ見てもずーっと明かりが付いているなあ。

 昼も夜も。

 そう、あのアパートの3階。左から2つ目の部屋。

 

 その日は休日だった。先週大きな仕事がひと段落したので久しぶりの連休だ。出版社で雑誌の取材や営業をしているが、充実はしつつも楽な仕事とは言えないので、こういったお休みはとても貴重である。少し朝寝坊をして遅めの朝食を取り、身支度を済ませてから散歩も兼ねて軽い運動に出かけた。

 ボーっとしていたからだろうか、テニスコートや緑のある公園の方向へ向かおうとしていた私は、ついついいつもの慣れた通勤路をたどってしまっていたようだ。自身のワーカーホリックぶりに苦笑しながら道を引き返そうとすると、ふと角にある古びたアパートが目についた。

 毎朝毎晩、なんとなく見ているアパート。そしてなぜかいつも明かりがついているあの部屋。いつも少し気になってはいたが、常に仕事の段取りで頭がいっぱいの私はまるで風景のように気づかないふりをして通り過ごしていた。

 2年ぶりの連休でその日の私は何かおかしくなっていたのかもしれない。気がつくと、エレベーターに乗り込んで3階のボタンを押し、その部屋のドアを叩いていた。

 非常識なのはわかっている。何も言い訳はできない。社会人として考えられないことだ。しかし何かが、心の奥底にある何かが私を確実に突き動かしていた。自分でもわからない何かが。

 幸か不幸か、私のノックに応える物音はなかった。今にも壊れそうな木製のドアに遠慮しながら何度か繰り返してみたものの結果は変わらず。落胆と密かな安ど感を抱えながら立ち去ろうとした時、左隣のドアが開き箒を持った白髪の女性が顔を出した。

 女性によると、その部屋の主はずいぶん前に出ていくのを見たっきりで、それから戻ってきていないようだ。名前は知らないし喋ったこともないが、若い大柄な男性であるとのこと。友人か、親戚か、と入歯を鳴らし固唾を飛ばしながら追求してくるその女性から逃れるため、私は丁寧にお礼を言ってそそくさとその場を後にした。

 1週間後、珍しく定時で仕事を切り上げた私は、急いで帰りの支度をしてギリギリの電車に飛び乗り、駅から一直線で再びアパートへ向かった。体力にはかなり自信があるとはいえ、仕事以外でこんなに急ぐ自分は久しく記憶にない。心の中で首をかしげながらもエレベーターを上がりドアをノックした。左隣の住人が出てこないようできるだけ音を立てずに繰り返したが、今回もやはり反応はない。数分ほどやって諦めて帰ろうとすると、今度は右隣の扉から赤ん坊を抱きかかえた若い茶髪の女性が飛び出してきた。

 よく覚えていないが、子供が寝ようとしているのにうるさいといった趣旨の罵声を浴びせられたと思う。しかし、わざわざ大事な仕事を明日に残して来たのに何の収穫もないことに耐えられない私はひるまず隣人についての情報を求めた。そうすると意外にも彼女は急に機嫌を直し、「マサト」について楽し気に話し始めた。彼は27、8歳で歳が近くスラっとしたイケメンなので、普段からよく話をしているらしい。彼女によると、昨日は久しぶりに戻って来ていたが今朝またどこかに出かけて行ったとのことである。一ヶ月近く留守にするので色々頼むと言われたそうだ。私は昨日来ればよかったと歯がゆい気持ちになりながらいくつか質問を加えようとした。しかし話し声が聞こえたからか二つ左の部屋のドアが開く様子がしたので、無念さを押し殺して慌てて話を切り上げ、礼を言いながら立ち去った。

 帰りの道で私は、まるで諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)に会おうとする劉備玄徳(りゅうびげんとく)みたいだな、と三国志の登場人物に例えて自分を笑った。と同時に、普段仕事にしか興味のない自分があの部屋とあの明かりにここまで執着することに驚いてもいた。

 年度末のとてつもない忙しさを乗り切り1か月ぶりにようやく一日だけ休みが取れた私は、早速「諸葛寮」と勝手に名付けたそのアパートに向かった。3度目の正直だ。「三顧の礼」ならば今回こそは会えるはずだと祈るように歩を進め、ドアの前でもう一度祈った。

 いつものように明かりはついている。しかしノックをしてもやはり反応がない。朝なので問題ないだろうと思った私は右の隣人のドアを叩いてみた。眠い目をこすりながら出てきたシングルマザーは私を見ると思い出したように破顔し、聞いてもいないのにペラペラと話し出した。「マサト」は今ちょうど出かけているが昼前には帰ってくる。それを聞いた私は年甲斐もなく10年ぶりのガッツポーズをした。

 彼女は問題ないと言ってくれたが、若い女性の部屋に男一人で入るのはさすがに憚られるので、私は1階の階段脇にある喫煙スペースで待つこととした。昼を過ぎ、13時を過ぎても「彼」が戻ってくる様子はなかったが、どこかで昼ごはんでも食べているのだろうと、自身が取材し編集した先週号のスポーツ雑誌を片手に気長に待つこととした。雑誌をめくりながら、なぜ自分はこの部屋に惹かれたのだろう、なぜ明かりがつきっ放しなのだろう、今さらながらそんなことを考えたりもしたが、答えはでなかった。

 15時を回っても人の通る形跡がない。さすがに痺れを切らした私は彼女に少々苦情を言おうと3階に戻った。すると、あの部屋に人気を感じるのだ。確実に中に人がいる。そうだ、3階へ上がる階段は西側にもあったのだ。興奮と心臓の鼓動はうっかりミスに落ち込む気持ちをかき消し、私は若い女性の部屋を通り過ごしてその目当ての部屋の前に立ち、恐る恐る扉をノックした。しばらくして中の人物がみしみしと音を立てながらゆっくりと入口に近づいてきた。そして中から声が聞こえてきた。

 

 

佐々木さんですね。お待ちしておりました。

 

なぜ私の名前を・・・?

 

お仕事もご順調のようで。あなたのテニス雑誌は私もよく読ませていただいています。

 

なぜそんなことまで・・・

 

扉を開けます。とりあえずお入りください。

 

あ、突然なのにすみません・・。

 

いえいえお気になさらず。

 

失礼します。・・・・・・え、あなたは、近藤マサト選手・・・・!!なぜこんなところに・・・・どうして・・・・!!

 

それはこちらのセリフです。あなたこそなぜまだこんなところにいらっしゃるのですか。まあ奥にどうぞ。

 

すみません・・・・・・いや信じられない。元全日本テニス選手権覇者のあなたが・・・あの全英オープンもすごかった・・・なぜ急に辞めてしまったのですか・・・なぜ急に人々の前から姿を消してしまったのですか・・・

 

お話は置いておいて、とりあえず奥にお掛けください。

 

ありがとうございます・・・失礼します。

 

なぜお越しいただけたのですか?しかも3回も。まあ、私はわかっておりますが。

 

いや、なぜって・・・なぜだろう。毎日気になっていたんです。明かりがついていたから。他の部屋はろくに明かりがついていないのに、この部屋だけずっとついていた。窓にはテニスのポスターも貼られていました。まさかあなたのお部屋だとは・・・

 

つけていたんです。あなたにお越しいただきたかったので。私から行くのではなくあなたの方からお訪ねいただきたかった。

 

取材してほしかったということですか?

 

いえ、違います。

 

あらら・・・結構いい記事書きますよ?あの近藤マサトが電撃復帰、なんてめちゃくちゃ話題になるのが予想できます。自慢ではないですがこの世界では私はなかなかの売れっ子なんですよ。

 

単刀直入に言います。戻りませんか?

 

どこにですか?何をおっしゃる。あなたこそ戻ってくださいよ。テニス界に。国民みんながあなたがいなくなったことを残念がっています。

 

でも私はもう忘れられています。

 

みんな覚えていますよ。あの頃は毎日テレビで取り上げられていましたから。それこそあのウィンブルドンの準々決勝はすごかった。

 

いえ、あなたが私を忘れておられるのです。

 

何と。私の職業をご存じですよね?ご冗談はやめていただきたい。もちろん過去にあなたの記事を書かせてもらったこともあります。あの高い打点からコートの隅にささるサーブは忘れられません。

 

やはりお忘れのようで。高校時代、あなたは強豪校のエースでした。全国高校テニスの決勝で破った相手のことを覚えていますか?

 

いえ・・・・

 

勝った方は覚えていないのですね。負けた側はいつまでも忘れられないのに。

 

もしや・・・・・・

 

圧倒してストレート勝ちでしたもんね。あのストロークには文字通り手も足も出ませんでした。あの時の悔しさと感動は脳裏にこびりついて離れません。なぜやめられたのですか?高校生史上最強と謳われたあなたが。

 

それは・・・・・・・見てのとおりですよ。

 

そのお体だからですか?

 

まあ、そうですよ・・・

 

ご存じない訳はないですよね、車椅子でもテニスができるって。やっている方が日本にもたくさんいらっしゃるって。先週号のあなたの雑誌でまさに特集されていたじゃないですか。

 

違うんです。私はもういいんです。今の仕事が気に入っています。

 

忘れようとして今のお仕事に没頭されるお気持ちはわかります。しかしあなたはそれで本当によろしいのですか?

 

雑誌の仕事がダメだと言うのですか?これも立派な仕事です。少なくともテニス界に貢献していると自負しています。

 

元々先週号は確か世界的プレイヤー達のプライベート特集の予定でしたよね。それが車椅子テニスの特集に差し替わっていました。あの車椅子テニス界のスター国枝選手にインタビューもされていましたよね。書き手も取材ももちろんあなたのお名前でした。

 

彼は素晴らしい選手ですからね。当然です。

 

いかにも昭和な感じでぼろぼろなのになぜかエレベーターだけがついているこの奇妙なアパート。まあ私が管理人にお金を出すと言って無理やりつけたんですがね。この下町ではエレベーター付きの建物は珍しいはずです。あなたはそこにご自身の意思でいらっしゃったのです。もしかしたら無意識かもしれませんが。最近はラケットを買われて公園のテニスコートで一人練習もされているとか。まだ申し上げましょうか?それがあなたの答えです。

 

そういうあなたはなぜ・・・あの全英オープンの後から姿を見せなくなったのですか・・・?あなたのあの実力でそんなに急に競技力が落ちるなるなんてことはありえない。

 

あなたを探していたのです。高校テニス界の鬼、佐々木ハヤトを。

 

いや・・・またまたご冗談を。

 

あのウィンブルドンセンターコートで、私はチャンピオンとなる選手と激闘を繰り広げました。確かに彼は強かった、とても試合巧者だった。しかし、敗れてしまった私が言うのもなんですが、高校時代に体感したあなたのストロークより優っているとは思えなかったのです。

 

いやいや・・・あの近藤選手の口からそんなこと・・・

 

ご謙遜なさらないでください。両方を経験した私にしかわからないことです。あなたより強い奴が世界にはいる、高校でのあの試合以降ずっとそう思って頑張ってきました。高校卒業後は就職しようと思っていた私がプロになって全日本選手権に出て世界に出た理由はひとえにそれです。それだけが私のモチベーションでした。しかし実際は違った。ウィンブルドンでの戦いが終わり、それと同時にプツンと緊張の糸が切れた気がしました。世間の人がどう思ったかは知りませんが、私のプロテニスプレーヤーとしての人生はそこで一度終わったのです。そこから、高校3年の時に交通事故で突然引退した佐々木という伝説の選手を探す旅が始まりました。出版社に就職されているとの事実をつかむのに丸2年かかりました。そこからこのアパートを借り、情報を集めながらひたすらあなたの到着を待ったのです。

 

なんと・・・・

 

あなたのいるべき場所、テニス界に、一緒に戻りませんか?

 

一緒に・・・?あなたは・・・・?

 

ご存じのように車椅子テニスにはダブルスがありますよね。

 

え・・・?

 

ストロークのあなたとサーブアンドボレーの私、ダブルスを組みませんか?健常者でも車椅子に乗って大会に参加できる、あなたもそう雑誌に書いておられましたよね。

 

 

 

 

 私の両眼には涙があふれていた。それが、私と彼の第2の人生が始まった瞬間でもあった。この古びたアパートのこの一室は、後に伝説のアスリート誕生の場所としてテニス界に末永く語り継がれることとなった。