【国内旅行記(2)】交野市
大阪府は交野(かたの)市に行って参りました。
交野と言えば七夕や天の川伝説を思い浮かべる人が多いかと思います。
そう、「星」と密接に関わりがあるのがこの地です。
・磐船神社
・星田妙見宮
・府民の森 ほしだ園地
峠道の途中に鎮座する縦横12m~15mほどの巨石を祀っており、パワースポットとして全国から拝観者が訪れるとのこと。
山独特の涼やかな空気を纏っているからか、確かに説明のしがたい神聖さや力のようなものは感じます。
この巨石は古事記や先代旧事本紀では物部氏の先祖である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が乗って天から地に降りてきたものとされ、さらに都市伝説界隈ではこれが宇宙船だったのではないかと言われたりしています。つまり饒速日命は宇宙人だったと。
岩をよく見てみると、正面から向かって右側(南側)はダイヤ形というかおおまかに菱形の成形を保っていますが、左側(北側)はおにぎりが崩れたような形をしており、決して左右対称とは言えません。数千年間の雨風の浸食で形が変化してきている可能性は否めませんが、仮にも宇宙船ならばもう少し整った形をしているのではないかと。
さらに言うと、周囲には似たような巨石がゴロゴロとあり、単に山から削れ取れた落石のひとつという可能性も否定できません。
しかし、日のないところに煙は立たぬが信条の私としては、こういった伝承を無下にすることはできません。いわゆるUFOでなくとも、例えば隕石、すわなち星だったのではないかと考えられないものでしょうか。
この巨石に乗って地上に下ってきたという饒速日命当人についてはなんとも・・・。彼はあくまで地球人で隕石の第一発見者でかつその神格化に成功した交野在地の有力者なだけでは、という夢のない想像をすることもできます。しかし岩に乗ってやってきたと考えた方が楽しいではありませんか。
交野市や北隣の枚方市の一帯は古来から交野ケ原と呼ばれ物部氏の領地でした。饒速日命の子孫たちです。"肩野"物部氏と呼ばれる彼らが敏達天皇の后(きさき)である豊御食炊屋姫(後の推古天皇)にこの地を献上したことから、交野市役所付近を私部(きさべ)、市南東部を私市(きさいち)と言います。いずれにしろ饒速日命とその子孫が当時この地で特別な存在であったことは間違いないでしょう。
磐船神社から北西に進み山を越えて降りたところに、妙見山と呼ばれる小高い山と「星田妙見宮」があります。
星田妙見宮は妙見山の頂上にあり、こちらでもなんと巨石が祀られています。
伝承によると、平安時代初め弘法大師が私市の獅子屈時で修業をしていたところ、北斗七星が3か所に分かれて落下し、その一つがこの山に落ちたということです。そう、また星ですね。しかも残りの二つである光林寺・星の森とは地理的に正三角形を成しているとのこと。この辺りの地名は星田と言いますが、磐船神社と合わせて何か運命のようなものを感じざるを得ません。
交野ケ原(交野市・枚方市)が発祥の地と伝わる七夕伝説。交野市では7月に市をあげて七夕祭りが行われます。その発祥は諸説あるようです。奈良時代にこの地に赴任した百済王敬福の一族が、交野市と枚方市を流れる「天の川」を見て故郷の百済で伝わる天の川の伝説を思い出したことからとも言われます。また織姫と彦星の息子が饒速日命その人であることが由来ともされます。星にここまで縁のある交野市、後者である可能性も案外捨てきれないかもしれません。
次回は、饒速日命の子孫物部氏の”もう一つ”の拠点である大阪府八尾市に焦点を当てようと思います。
【おまけ】
ほしだ園地と園内に設けられた巨大吊り橋「星のブランコ」にも行ってきました。
緑茶黄色の混ざる紅葉の景色が素晴らしかったです。